神を信じるって恐怖?安心?

2023-01-10



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こんにちは!ゆっきーです。ゆっきーの家に遊びに来ていただき、ありがとうございます。

私は幼い頃から、神の願いに適った生き方をしたいと、そう思うことを自然なこととして教わりながら生きてきました。いわゆる宗教二世という立場で育ち、世界中の人が幸せに暮らすことのできる平和な世界が、この世界の本然の状態なのだと信じてきました。だから世界が本然の姿になってみんなが本当の幸せを感じながら生きられる世界であってほしいと思うし、そのためにみんなが本然の姿で生きることが出来るよう、自分も本然の姿で生きようと学んだ教えを実践しようと必死に生きてきました。

だけど、なんか虚しくて、なんか寂しくて…。自分の気持ちが安定しないのに、どうやって世界の平和を目指せるんだろう…。消えてしまいたい、けど生きていたい。そんな渦から抜け出したのは、それまで頭の中でだけ詰め込んできた「神の愛」を心で感じられるようになったときでした。ずっと続いていた心の不安が解けたとき、神を信じるってこういうことかと思ったんです。

今日は、私が信じる"神"、そして「神を信じる」ということをどう捉えているのかということについてまとめたいと思います。念のためお伝えしておきますが、「神を信じる」ということに対する捉え方はあくまでも私の主観です。

神ってどんな存在?

一言で"神"と言っても"神"に対する捉え方は、宗教を持っている人と持っていない人でも異なるし、宗教を持っている人でも信じている教えによっても異なるし、もっと言えば同じ宗教を持っていても人によって異なる。だけどたとえ神に対する捉え方が人によって異なっていたとしても、辿っていけばその根本は同じ唯一の"神"に繋がるって私は信じている。

私の信じる"神"は、絶対・唯一・不変・永遠で、この世界に存在するものの根源となる力のようなものとして捉えている。"神"について話をするとき、そういう「方(かた)」と表現してしまうと、拝めば願いを聞いてくれるような、私とは別に存在する何かのような気がしてしまうから、私は「方(かた)」という表現をあまり使わないようにしている。(便宜上、使うときもあるけれど…)

永遠の安心感

私の信じる"神"はいつも、この世界に存在している誰とでも共にあり、私を含めすべての人を存在させてくれている(必要としている)、それが神であると信じている。私はそのことを確信するまでは、自分の存在が不安で、時には消えてしまいたくなることが続いていた。その不安な気持ちはふとした瞬間に現れ、ふとした瞬間に消えた。その感覚は記憶の限りでも大学生の頃から、20年近く続いていた。

不安な気持ちが消えているときは気分はとてもいいのだけど、ずっと生きてくる中で、不安な気持ちが見え隠れすることを繰り返してきていた。気分がよくなるときも、またきっと不安な気持ちが戻ってきてしまうことが常に分かっていたので、いつも不安で仕方なかった。不安が消えるとき、この安心感がずっと続いてほしいといつも願うのに、願えば願うほど消えてしまう。その安心感を繋ぎとめておく方法を39歳になるまで分からずにいた。



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だけど、私は永遠の安心感に出会った。私が39歳の誕生日を迎えて4か月くらい経ったころだった。きっかけは、はっきりとこれ!ってものがあるわけではないんだけど、2022年の年に私と共にいてくださった大切な方々と接する中で、それまでは知識として頭でしか認識してこれなかったことが、心で感じられるようになって、それがだんだんと確信となり、永遠の安心感を持てるようになった。

神の存在を信じるということ

この世界に存在しているひとりひとりは、その神によって存在し、無条件に愛されていて、私もその一人であると信じられるようになったら、何も恐れる必要はないんだって安心できるようになった。

幼い頃、意地悪な子がいたりすると、「その子は神様を知らないからなんだ」と教わった。社会において問題視される様々な出来事も、人が神を知らないが故に起こしてしまうことなのだと考えている。だけど、ここで大事なのは「神の存在を信じる」ということがどういうことなのか?ということだ。

「神の存在を信じる」と言う言葉は、非常に誤解を生みやすい表現だと思っている。「神を信じれば幸せになれる」って言うと、「神様!助けてくださいっ!私の願いを叶えてくださいっ!」といった感じで、神に拝む姿を思い描くのではないだろうか?私にとってそれは、見えないものを拝んではいるけれど、偶像崇拝と何ら変わらないんじゃないかなって思う。私は人が作り上げた偶像に拝むことは、それをひとつの誠意を込める姿勢として踏み台にする分には役に立つとしても、それ自体に意味があることだとは思わない。

偶像崇拝に意味があるのだと言う考え方をする人がいるのであれば、そう信じることを私に否定する権利はないけれど、私はそう言う信じ方で神を信じない。見えるものは有限でしかないから。私は、この世界に存在するものが全て、神に必要とされ賜物を授かって存在していると信じ、それは神がこの被造世界を神自身が愛する対象とするためにそれら存在させているからなのだと信じてる。そしてその神の愛は永遠なものであると信じている。

「神の存在を信じれば幸せになれる」って言うのは、何か間違ったことをしたときにバチが当たるから神の力に怯えて生きなきゃいけないだとか、今困っているから神の力で私を助けてくださいってことなのではなくて、神が無条件に愛してくれているから、安心して心の底で願っていることを素直に行動に移して大丈夫って思えること、それが「神の存在を信じることによる幸せ」なんだと思っている。

まとめ

今回は私が信じる"神"について考えることをまとめてみました。私にとって"神"は、絶対・唯一・不変・永遠で、この世界に存在するものの根源となる力のようなものであるということ。そして、この世界に存在するもの全ては、その"神"に無条件に愛されるために生まれてきて存在し、常に神に必要とされているということを信じることで、人は安心して生きることが出来る。神の愛の下に生きているという永遠の安心感を持つこと、それが神を信じるということであり、だから「神の存在を信じれば幸せになれる」と言えるのだと考える。神の愛を信じることによって持つことが出来る永遠の安心感については、神の愛は永遠に無条件に注がれる?を読んでいただければと思います。



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Posted by yukky