神の愛は永遠に無条件に注がれる?

2023-01-10



【スポンサードリンク】


こんにちは!ゆっきーです。ゆっきーの家に遊びに来ていただき、ありがとうございます。

私は幼い頃から、神の願いに適った生き方をしたいと、そう思うことを自然なこととして教わりながら生きてきました。いわゆる宗教二世という立場で育ち、世界中の人が幸せに暮らすことのできる平和な世界が、この世界の本然の状態なのだと信じてきました。だから世界が本然の姿になってみんなが本当の幸せを感じながら生きられる世界であってほしいと思うし、そのためにみんなが本然の姿で生きることが出来るよう、自分も本然の姿で生きようと学んだ教えを実践しようと必死に生きてきました。

だけどどんなに頑張ってもなぜか虚しくて、なぜか寂しくて、そんなふうに自分の気持ちが安定しないのに、どうやって世界の平和を目指せるんだろうと、いつも思考の渦から抜け出せずにいました。その私がその渦から抜け出したのは、それまで頭の中でだけ詰め込んできた「神の愛」を心で感じられるようになったときでした。ずっと続いていた心の不安が解けたとき、神を信じるってこういうことかと思ったんです。

今日は私の信じる「神の愛」について書いてみたいと思います。

人は幸せになることを願っている

人は誰でも幸せを求めて生きている。不幸を求めて生きている人はいないだろう。やりたいことをやったり、食べたいものを食べたり、なりたい職業に就いたり、お金をたくさん稼いだり、家を建てたり、結婚したり、子供を欲しいと思ったり、それをすれば幸せになれる気がして、その幸せを得るために頑張っている。

だけど、それらの幸せは永遠には続いてくれない。食べ物で満たされた欲望は食べ物が尽きれば終わってしまう、なりたい職業に就いても、お金を稼いでも、それらによって満たされる欲望を維持するためには何かを目指し続けなければいけない、結婚しても思い描いた家庭が築けないかもしれない、子供が欲しいと思っても思い通りにはならないかもしれない、自分を幸せで満たしてくれたいた何かが、それ以上自分を満たすことが出来なくなったとき、人は自分の満たされない心を満たしてくれる他のものを探し始める。

人生ってそういうものだと言ってしまえばそこまでだ。だけど、私は永遠に続く幸せが存在してほしいと願うから、個人の幸せが永遠なものになれてこそ、世界の平和も訪れると信じているから、永遠の幸せを得られる道があるのであれば、私はそれを模索したいし伝えたい。

人は人の幸せを願っている

世の中には人を幸せにしたいと思っている人がたくさんいる。行動に移しているかどうかは別として、人を幸せにしたいという心はきっと誰もが持っているものだと信じている。

だから人に親切にすることを心掛けている人がいるし、奉仕活動や寄付などをする人がいるし、事業をしている人たちもただただ自分が儲かることを考えているのではなく、他の人たちにも幸せになってほしくておいしい料理を提供したり、素晴らしい商品を提供したり、生きるためのノウハウを教えようとする人だっている。私がお菓子を作って人にプレゼントしたいと思うのも、それによって少しでも幸せを感じてもらいたいという思いがある。

私は生きてくる中で、宗教の有無や宗教の種類を問わず、機会があれば私が世界平和を目指しているという話をしてきた。そうして、いろんな人と話す中で気付くことはいつも、人々はどんな教えに触れてるとか関係なく心の底で世界の平和を願ってると言うこと。世界中の人が不幸になってほしいなんて誰も願ってない。



【スポンサードリンク】


世界が平和じゃない理由

じゃぁどうして、みんなが平和を願っているのに、この世界には幸せじゃない人が存在するんだろう。みんなが幸せな世界って理想でしかないんだろうか?みんなが心の中で世界平和を願っているのなら、みんながその気持ちに素直になれたら、あっという間に世界は平和になりそうなのに・・・。

きっとそれは、人のいろんな感情がそこに向かうことを邪魔してるからなんじゃないかな。自分が満たされないから、もしくは今はいいけど後に満たされなくなるかもしれないから、自分を満たすために余裕を持っておこうと、だからじっとしていようって思うから、だから人が人に寄り添えない。素直になれない。人が見えるもので自分を満たそうとしている限り、そこからは抜け出せないのかなって思う。

永遠なる安心感の下に

私は、誰もが持っている「人を幸せにしたい」という思いから出る行動が、永遠なものになってほしいと願っている。でもそれを誰かに求めはしない。なぜなら私がそうなることが出来れば、誰かもそうなれるんじゃないかなって思うから。私が人を喜ばせるために出来ることは、クッキーを作ったり、写真を撮ってあげることくらいだけど、人を喜ばせたいというその愛をこの世界に撒き続けることができるのなら、その愛によって幸せを感じた人が隣人に優しくしてあげるきっかけになれるんじゃないかなって思ってる。

私は、この世界に存在するものが全て神によって存在し、私もその一人なのだと信じてる。ただそう信じられるようになっただけで、なぜか虚しくて寂しかった私の心はあっという間に満たされて、永遠なる安心感の下で生きられるようになった。人はみんな、一人ひとりが神から授かった賜物を持っているんだと思う。だから私も、神の愛を受けているという永遠なる安心感の下で、自分に与えられた賜物を活かして素直に生きていきたいと思えるようになった。そういう意味で私は、隣人に寄り添うためためにクッキーを作ったり、写真を撮ることを続けていきたいって思ってる。もし私が隣人に寄り添うことで、隣人がまた誰かに寄り添うきっかけになったら、そこには愛の連鎖が自然な形で起こるのかなって思う。

私が動かせるのは私自身だけだから、私一人に出来ることは本当に小さな善だとは思うけれど、それでも、神が人に無条件の愛を注がれるように、私も小さな善を撒き続けることが出来れば、小さな善が小さな喜びを生み、小さな喜びが小さな善を生み、そうして良き連鎖が続いていくことで、この世界は喜びが満ち溢れる平和な世界に繋がるって信じてる。その連鎖が起きるまで、それが起きたあとも、小さな善を撒き続けたい。

まとめ

今回は、永遠の幸せは存在するのかというテーマで私の考えをまとめてみました。人は誰でも幸せになりたいと思っていて、そして誰もが人を幸せにしたいと思っているんだと思います。人が心の中で願っている人を幸せにしたい気持ちを素直に行動に移せるようになったら、きっとこの世界はあっという間に平和になるんだろうなとも思います。だけどそれをどんなに言葉で伝えようとしてもそのことを人に信じてもらったり、強要することは出来ないから、私は私の出来ることとして隣人に小さな善を撒き続けたいと思っています。そのためにも神から無条件に注がれ続ける愛を信じていたいなって思ってます。



【スポンサードリンク】


philosophy

Posted by yukky