過去の自分にしてあげたいこと

2023-01-10



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こんにちは!ゆっきーです。ゆっきーの家に遊びに来ていただき、ありがとうございます。

今日は自分が殻の中に閉じこもったまま大人になってしまった話、そこからどうやって出てきたのかっていう話、そして私みたいに殻に閉じこもったまま大人になる人を未来の社会において減らすために私に出来ることを書いてみようと思います。

世界平和という規模が大きすぎて…

私は宗教二世という立場で育ち、人生の目標を世界平和のために生きることとして掲げて生きてきた。だけど、世界平和って名前のごとくあまりにも規模が大きくて、私は頭の中で世界平和のための生き方を描くのに忙しく、私自身に出来ることを遠い未来にやってくる何かのように考えていたのかもしれない。そして私は、未だ世界の平和がなされないのは、他の人が世界平和のために生きようって心を一つにしてくれないからだって、そんな風にしか思うことが出来なかった。

世界平和のための教えを学んでいる人々のことをそうやって否定的に見ることしかできなくなっていた。同じ教えを学ぶ人々のことをただ自分たちが幸せのために生きている人々だと言う思いだけがどんどん強くなってしまって、同じ教えを学んでいない人々にこの教えを伝えて何としてでも世界平和に向かいたいと、頑なに私は宗教の集まりを嫌っていた。ただ私が信じていたのはその教えだけ。そうなったのには理由があった。この世の中に存在するものはどんなにあり得ないような出来事でも人でも、必ず理由はある。ここでは書かないけれど私がそうなっていったのにも理由はあった。

私は口で言っているだけで行動しない人たちが大嫌いだ。だけど寂しさと悲しみに押しつぶされ、いつの間にか自分自身が、自分が大嫌いな人になっていた。批判ばかりして行動が伴わない、そんな大人に…。

幸せな家庭を築くことを大切にする生き方

私は同じ宗教を持つ人々と交わるのが辛かった。だから避けていたし壁を作っていた。だから、私は同じ宗教を持つ人よりも、その外にいる人と話をするほうが新たな気付きがあってよかった。世界平和を目指したいとか、幸せな家庭を築きたいとか、そういう話を素敵だねって共感してくれる人がたくさんいた。そうしていろいろな人と話していくうちに、あることに気づいた。本当はみんな心の中で世界の平和を願っていて、世界の不平和を願っている人なんていないんだって…。

多くの人が自分が幸せになりたいと同時に、誰かを幸せにしたいと思っている。それなのに世界中を見たときに苦しんでいる人々がいるのは、何が原因なんだろう。それは私たちが世界平和のためにひとつになって大きく動けないからだって、ずっと思ってた。だけど、あるとき気が付いた。もしかしたら、みんなそれぞれ世界平和のために自分に出来ることをしながら生きているのかもしれないって。私は世界平和のために「幸せな家庭」を築く大切さを伝えたいと思っているけれど、みんな大切って思えるポイントはそれぞれあるから、みんなに同じものを大切だと思わせるために必死になる必要はないのかもなって…。

自分が「幸せな家庭」を築くことが大事だと思うなら、自分が幸せな家庭を築いて周りも幸せな家庭が築けるように寄り添ってあげればいい。人はいろんな事情を抱えているから、そういう人たちにただ言葉で理想の家庭像を投げかけるんじゃなくて、理想なんて誰でも描いているものだから、そこに向かって自分が寄り添える方法で寄り添ってあげる以外にない。

私の生き方を邪魔していたのは私自身だった?

そういう風に考えられるようになったら、自分が大切にしたい生き方をそれまで邪魔していたのは自分の考え方だったんだなって思うようになった。他人を自分が願うように動かすことなんてできないから。自分が動かせるのは自分だけ。世界平和って規模が大きくて自分ひとりじゃ何もできないような錯覚にとらわれてしまうけど、自分一人が、そして自分の家庭が隣人に寄り添えるようになるだけで、世界の平和に一歩近づけるんだって思う。そして個人に出来ることってそれくらい小さなことなんだけど、その小さな善が連鎖反応を起こしていけばきっと世界の平和に繋がるって信じてる。

私が見てきた、平穏な家庭を築こうとしていた人たちは、もしかしたらそうやって地道に世界平和に向かおうとしていたのかもしれない。だけどそういう人たちを見て、自分の家庭が幸せであればそれでいいと思っている人たちだと思って、あの人たちが自分の家庭の幸せばかり考えているから、この社会は変わらないから、私はどこにも居場所がないじゃないかといつも悶々としてしまっていたのは、私がそういう視点でしか見られなかったからなんじゃないかと思うようになった。

私が今、私に出来ることだと感じていることは、世界平和のためには自分が幸せな家庭を築くこと。それは確かに、ずっとずっと悩んできた抜けられない渦を出た今思うこと。だけど過去の私は今の自分を受け入れられないだろう。今の私は、自分の家庭で築かれる幸せが自分の家庭で留まるのではなく、周囲の個人や家庭に寄り添っていく基盤になると思っているけれど、過去の自分にはそれは伝わらないだろう。

それはどういうことかというと、つまり、過去の私と同じような心境にいる人がこの世界に存在するのであれば、その人は今の私を見て寂しさを感じるかもしれないということだ。私はクリスチャンではなかったけれど大学生の頃、キリスト教の教会などで賛美される曲に触れる機会がよくあった。その中に「君は愛されるために生まれてきた」という曲がある。私は本当に、その歌を歌いながら疑問だったし、その歌を満面の笑みで歌っている人たちを見るのが辛かった。

あの人たちは自分たちが愛されていて幸せだからそんな歌が歌えるんだろうけれど、「私はその愛を受けられずにいるんだよ。その環境を変えてくれないのはあなたたちがそこで呑気に幸せそうにしているからなんだよ。それでいいってあなたたちを育てた人たちのせいなんだよ。」と、率直に言うとそんなふうに思っていた。そんな風に思う人がいるってこと、賛美する人たちのうちのどのくらいの人が知っているのかな。



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殻に閉じこもる自分、アウトプットする自分

私が壁を作っていたのかもしれない。私が近づかないでって言うオーラを放っていたのかもしれない。だけど私は寄り添ってほしかったし話を聞いてほしかった。だけど、それは誰かが解決してくれるものではなくて、自分自身が乗り越えないといけないものだったんだなって、今だから思う。今の思いに辿り着くのに39年かかった。そして、自分自身が乗り越えないといけないというのは確かなことだけれど、生きてくる中で寄り添って話を聞いてくれた人たちがいたからこそ今の私がいるわけで、その出会いがなければ39歳の私はまだ悶々とした渦の中にいたかもしれない。

だから私は、過去の自分のような人がこの世界には存在するかもしれないっていうことを忘れずにいたい。ただ我が強くて固執が強い頑固なひねくれ者のようで接しにくい存在に見えるかもしれないけれど、その背景には救われたい何かを背負ってるってことを…。

子供のうちは誰か周りの大人が築いて寄り添ってあげられたらいいなって思う。だけど、そう言う子って扱いにくいんだろうなって思う。私は幼い頃、自分のことを引っ込み思案、大人しい、真面目といった感じで先生と親との通信欄で書かれているのを見た記憶がある。何考えてるかよくわからないけど、そっとしとけば大丈夫って思われがちな子だったんじゃないかなって思う。そうやって大人たちが気にも止めないくらいに目立たないように閉じこもっていることがある。

そして大人になると、成長するにつれて私は自分の気持ちや考えをアウトプットするようになっていった。自分が負の方向に動かないようにするにはアウトプットするしかなかった。そうすることで自分の中で湧き上がってくる思いを整理して、ときにそんな私に耳を傾けてくれる人がいたりして、意外と自分が殻の中に閉じこもってるだけなんじゃないか?って思えて、ちょっと殻から出てみたら意外とひとりじゃないかもしれないって思えたりもして…。

だけど私はアウトプットの波に乗ってしまったのでそれができたけど、アウトプットするのって難しかったり恥ずかしかったりする。私自身、少し前まで思い切ってアウトプットしては、そのアウトプットを受け取った人たちにどう見られているのかを気にしすぎて消えてしまいたいくらい不安に駆られたりもした。大人になるにつれて、自分の抱えてたものに対する意識が強くなりすぎちゃって、誰かが寄り添うのは難しいくらいにバリアを張ってしまっていたり、アウトプットしたらしたで、いい歳して自分のことしか考えられない、子供みたいな大人のように見えるんじゃないかって人目を気にしたり…。アウトプットすることが誰にとっても正解かって言われたらそんなこと私にはわからないけど、私はアウトプットしながら生き延びてきた感じがする。

過去の自分にしてあげたいこと

そんな風にして自分の気持ちを整理しているうちに、あの「君は愛されるために生まれてきた」って満面の笑みで歌っていた幸せそうな人たち、そして自分の家庭の幸せばかり考えているように見えていたあの平穏な家庭を築いていた人たちも、本当は私にも感じられる愛があることを伝えたいと思っていてくれたのかもしれない、と思えるようになった。

だけどそうしたら、自分が人々を恨んできた、そこに投資してきてしまった時間を振り返るとあまりにも虚しくなってきて、この世界にポツンと取り残されたような感覚に陥ってしまった。みんな平穏に生きながら、私が大切だと思うそこに向かおうと必死に生きているのに、私はその平穏な人々を責めるのに忙しくって、私が大切にしてきたことを行動に移すどころか真逆の方向に動いていたんじゃないかと思うと。自分って自分が一番嫌いな奴じゃないか…って。私、みんなの邪魔をしてきたの?ずっとそうだったの?どうして誰も教えてくれなかったの?私が壁を作っていたから?

そのまま大人になってしまうと誰かが寄り添うのは難しいくらいに本人も素直でいられなくなってしまうんだろう。正直、私には私みたいな大人に寄り添える自信はない。だけどそういう大人に寄り添える人ってきっといるから、私に寄り添ってくれた人たちみたいに…。だから必要な人にはそういう出会いがあることを願ってる…。そして私に出来ることとしては、そういう大人になる可能性のある子どもが存在するのだとしたら、そういう子には寄り添ってあげられる自分でありたい。

自分のことを見て欲しいって感じの子、自分のことばかり話す子、ちょっと面倒だなって思う子、親の立場になると自分の子と関わらないでくれたらなって思ってしまうこともあったけど、もしかしたらそう言う子たちって過去の自分のような気がしてきたら、誰かが寄り添ってあげないとあの子たちは私くらいの歳になっても自分しか見えない大人になってしまうかもしれないって思えてきて…。

だけど、そう言う子たちも含めてこの世界は成り立っていて、そう言う子たちもこの社会を作る大人になっていくんだって考えると、大人として自分の子の友達がどんな子であっても優しくしてあげたいなって思えてきて、親として自分の子供がそう言う子と仲良くなったときにサポートしてあげられるようでありたいなという思いが出てくる。

それはまた、いつの日か世界の平和に繋がる道の一つかなって思う。逆を言うと、誰かの不幸を防ぐ道の一つかなって思う。

まとめ

今回は、殻に閉じこもったまま大人になってしまった自分について、今、目の前に過去の自分がいるのなら何をしてあげたいか考えてみました。この世界にポツンと取り残されてしまったような感覚に陥って、その虚しさから抜け出せなくなってしまう大人を少しでも減らしたいから、私に出来ることは未来を作る子供たちに居場所を作っていくことかなって思っています。大人目線ではちょっと距離を置きたいなと思ってしまう子供がいたりするけれど、そう言う子たちも未来の社会を作っていくひとりひとりであることを忘れないでいたい。そしてもしそれが自分だったら…と思うと一緒に過ごせる機会を誰かが提供してくれるって本当にうれしいことだと思うから、そういう気持ちを大切にしていたい。



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Posted by yukky