★ゆっきーのつぶやき日記を読んでいただくにあたって★
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「自分がどう生きたらよいのか分からない」「自分がどこにいるのか分からない」
40歳目前にしても尚、何かを頑張ろうとしても次の瞬間にその気持ちが消えてしまう。その状態を学生の頃からずっと繰り返してきました。どうして気持ちを維持できないんだろう。自分は何が問題なんだろう。自分が生きている価値って何だろう。ずっと抜け出せない渦の中で生きていたように思います。
自分の感情を閉じ込めて生きることの限界
今思えば、思考が閉ざされていたんだなってことを思います。
物心ついた頃から他人や環境を敵対視してしまう癖があって、それによるもどかしさ、怒り、悲しみ、悔しさ、そういうものを外に出してはいけないと思っていました。そして、そうした負の感情は、自分の中で整理して、表に出ないようにしないといけないと思っていました。
こんなこと言ったら変に思われるかもしれない。こんなふうに感じてることを知られたら人に認められなくなるかもしれない。
むしろその感情をもっと上手に出せていたのなら、他人や環境が自分が思っているような冷たいものではないと感じられたかもしれないけれど、他人や環境に打ち解けることを避けてしまう自分がいたので、支え合える可能性など全く視野にありませんでした。
自分は他人や環境、そして自分自身に完璧を求めるあまり、疲れ切っていたように思います。
壊れていく人間関係
だけど感情を抑え込むのには限界があって、自分も予測していなかった状況で他人や環境にその感情をぶつけてしまうことがありました。そうして失ってきたものの中で一番ダメージとなったのは、終わってしまった人間関係、遠ざかってしまった人間関係でした。
自分は何が間違っているんだろう。ただ、正しく生きようとしているだけなのに。他人や環境に正しさを求めているだけなのに。何が間違っているんだろう?どうして私は一人ぼっちなんだろう。もう消えてしまったほうがいいんじゃないか?みんな、それを望んでるんじゃないか?そんなふうな思いにも駆られました。
ただ生きているということが辛い
だけど、生きていたい。生まれて来たってことは、きっとそれだけで意味のあることだと思いたい。ただ生きているだけでもいいじゃないか。頑張らなくても、生きているだけで…。そんなふうにも思いました。だけどその、「ただ生きる」と言うことすら大変でした。楽観的に誰かと楽しく過ごしていればいいや、そんなふうに思っても、みんな忙しそうで、みんな頑張っていて、頑張れないのは私だけ。一人ぼっちなのは私が嫌われているから。私はただ生きていたいだけだけど、頑張れないし、嫌われているし、と、どんなに楽観的に生きようと思っても、やっぱりそんなふうにいろんな思いに駆られてしまうんです。
だけどやっぱり生きていたい。我が子を見ているとキラキラしていて、これからどんな人生を生きていこうかと希望を膨らませながら、毎日毎日を一生懸命、楽しそうに生きている。その姿を見ていると、生きていたい…それだけは確かな思いでした。
全体公開でFacebookに綴り続けた自分の思い
どうしたらいいのか分からなくて、気づいたら毎日のようにFacebookに思いを綴り始めていました。書くときはある意味無心で、ただただ自分の気持ちを正直にアウトプットしつつ、誰かを傷つけないようにと言葉を選びながら、気づくと長文を書き上げていたりします。投稿してから、「あんなこと書かなきゃよかったかな。」「あの人にはこう思われてるかな。」「あの人に嫌われたかな。」そんなふうに人にどう見られるかを気にして、また全部が嫌になって、書いたもの全部アーカイブしたり、アカウントを休止状態にしてSNS上で消えてしまおうとしたり、そんなことを繰り返しながらも、それをそっと読んでいてくれる人がいて。
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そうやって1年近く、日記のように綴り続け、自分の中にだんだんと変化が訪れる部分がありました。独り言のように呟き続け、アウトプットし続けた結果、自分の中で何が絡まっていたのかがだんだんと見えてきて、抑え込んでいた怒り、悲しみ、悔しさなどの負の感情が、あることに関してはどうでもいいことに感じられるようになり、あることに関しては仕方のないことに感じられるようになり、全部過ぎた過去のこととして流そうって思えるところに辿り着いたんです。
目に見えない心の拠り所
残る思いは、確かに私は一人取り残されたような感覚に陥って苦しんでいたということ。それは事実だから、やっぱり他にもそうやって誰にも言えずに一人で何かを思い悩んでいる人が今も尚、どこかにいるんじゃないかなって思うと、寄り添って話を聞いてあげたいなって言うことを思うようになりました。
自分の日記を読み返してみると、自分が閉ざされた思考の中にいたんだなってことが分かってきて、そのせいでよくわからない渦の中から抜け出せずにいたんだなっていうことが分かってきて、自分をそうさせた原因ってあって、誰かのことを悪者にして思いを吐き出すこともできるけど、その誰かにだってそうならざるを得ない原因があったんだろうなと思えば、誰かを悪者にすればそこには悲しみしか生まれないんだと思っています。
なかなか辛い過去って忘れられなくて、自分だけが苦しんでいるって言う思いにかれられると、そこに自分を至らせた原因を恨んだりするのは普通のことだけど、だけど自分のそういう感情をうまくなだめて平穏な毎日を送りたいという思いもあるから、怒り、悲しみ、悔しさ、恨み…そういう感情を抑えて、何かで胡麻化して我慢していることって、誰にでも少なからずあるんじゃないかなと…。
そう言う思いを聞いてくれる人がいる場合はいいけれど、他人とそういう関係を築くことができない環境で生きてきている人、そういう人を何らかの理由で失ってしまった人っていると思うから、そういう人にそっと寄り添える存在でありたいな…と。
私自身は、自分の中に【目に見えない拠り所】を見つけたことによって、自分を落ち着けられるようになってきたんだけど、そういう心の拠り所が、きっと人それぞれぴったりくるものってあるんじゃないかなって思うから、あなたにとっての心の拠り所を見つけられるまで、あなたの話を聞きたいなって、そんなことを思っています。
さいごに
こちらのカテゴリー【ゆっきーのつぶやき日記2022~2023】では、一年間、綴っていた日記(※一部編集)になります。投稿日が日記を書いた日付となっており、今の私に至るまでの材料のようなものです。今の私の考えの一部ということもあるし、異なることもあります。
ただただ、つらつらと書き綴った独り言なんですが、もしあなたが何かに行き詰っているのなら、同じようなグルグルした思考の渦の中にいた人なんだな~って知ってもらうきっかけにもなるかなと思って載せてます。笑
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