宗教二世の救済ってなんだろう
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宗教二世の救済だなんだって騒がれるけれど、生きるってのはそう簡単なことではない。
宗教と人の関係。
そこには本当にいろいろな角度があるから、簡単に言葉にできるものではない。
宗教と共に生きる。
教育なのか洗脳なのか、
感謝なのか恐れなのか、
愛なのか脅迫なのか、
そこにはものすごく、
ものすごく、ものすごく、
多くのものが絡み合っている。
何が正しい、何が間違ってるかなんて、誰にも簡単には言えない。
親(一世)は、経路は何であったとしても自ら宗教を持つ。
子(二世)は、生まれながらにしてその宗教を持っている場合と、親(一世)が入信して人生の途中から宗教二世となる場合とがある。
一世に対する二世の視点、
二世に対する一世の視点、
それは愛以外に、ものすごく多くのものが絡んでいる。それは当事者たちにしかわからない。
もっと言えば、当事者たちにも整理し難い部分。
宗教二世の救済だなんだって社会的に環境を整えたとしても、
結局のところ、
自分自身がどう生きるのか、
自分が道を見つけるために必死にならなければ、
人は常に「抜け出したい何か」の中にいる。
その何かから抜け出すための力を、宗教から教わることもあれば、他から教わることもある。
「人」は自ら考えるってことをしないと、どこからも抜け出せない。ものすごい年月がかかるかも知れない。完全な答えが出なくたっていい。
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考えて、感じて、確信して、そうやって自分が確信を持てるパーツを少しずつ集めていくほうが、何かに依存する生き方よりずっと芯のある生き方が出来るんじゃないかな。
ひとりの人として生きようという思いに至るまでの日記
「自分がどう生きたらよいのか分からない」「自分がどこにいるのか分からない」「消えてしまいたい」
40歳目前にしても尚、何かを頑張ろうとしても次の瞬間にその気持ちが消えてしまう。その状態を学生の頃からずっと繰り返してきました。どうして気持ちを維持できないんだろう。自分は何が問題なんだろう。自分が生きている価値って何だろう。ずっと抜け出せない渦の中で生きていたように思います。
渦の中で生きていたように思います。
その抜け出せない心の中のぐるぐるした渦の中から抜け出すきっかけになったのは、Facebookに自分の思いを書き続けたことにありました。こちらのカテゴリーゆっきーのつぶやき日記2022~2023では、私が書き綴った日記を投稿しています。日記を投稿するに至った理由は、★ゆっきーのつぶやき日記を読んでいただくにあたって★をご覧になって頂けたらと思います。
あなたにとって、ちょっとした気晴らしにでもなれたら幸いです。
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