原罪を清算すれば何かが変わるんだろうか

ゆっきーのつぶやき日記2022~2023



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別に宗教改革がしたいわけでもない。

何かを信じる人にどうこう言いたいわけでもない。

これは私自身の生き方の問題なのだろう。

だけどもしかしたら同じようなところで躓いてたり、

渦の中から抜けられなくなってたり、

そう言う人に何か考える材料にでもなれば幸いだし、

誰の役にも立たなければ、私のただの独り言だろう。

自分、どこにいるんだろうって、

そんなことをよく思った。今年は特にそうだった。

宗教を持つって何なんだろう。

そんなことは、いつだって疑問だった。

生まれながらにして教えられてきたその教えは、

心にすっと入ってくるのに、

そこに集まる人々にいつももどかしさを感じていた。

共にいたくても許されなかった時期もあった。

だけどそのあとに訪れたのは、

共にいられるのに共にいたくない時期だった。

そこに交わるだけで自分が消えてしまいそうで、

交わりたくない自分がいつもいた。

神がこの世界を作られた目的を、愛の対象として存在させることで見て喜ばれるためであると私は信じている。しかし、人類始祖が神の掟を守らなかったことで神の存在を忘れてしまった人間は原罪を負って生まれてくる。それを清算するための儀式が、その考えに基づく宗教にはある。

原罪を清算するって何だろう。

どうしてもその儀式をしないと救われないの?

宗教を持つ人の大半は、そうだと言うんだろう。

宗教を持たない人にとってみれば、それはあなたがそう信じてるだけでしょ?って感じかな。

生きてくる中で、同じ宗教を持つ一部の知人だけでなく、宗教を持ってない知人や他の宗教を持つ知人にもたくさん支えられて、助けられて生きてきた。

この地上での世界が、そんな大切な知人たちも含め皆が幸せな世界であってほしいし、死後の世界があるのであればその幸せも皆のものであってほしい。

22歳のとき、私は私が信じてきた教えに基づき、

原罪を清算する儀式を受けた。

そして世界平和のために幸せな家庭を築いていくと、

夫と共に神の前に誓った。

儀式を受けて何が変わったのか?

霊的には原罪が清算されたのかも知れない。

でも肉的にはある意味スタートであった。

心持ちの転換と言うべきか、

堕落性を排除すると言うべきなのか、

それは儀式によって瞬時に転換されるものではない。

知らぬ間にいろんな柵に囚われてしまっていた。

ひとつひとつ柵を取り除くのに長い期間を要した。

そして今はただその教えに基づき、



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幸せな家庭を築きながら子供たちにもその教えを伝えていくことで、世界の平和に繋がる関係が私たちの家庭でとどまることなく、周囲の個人、家庭、社会へと広まっていく、ほんの小さなきっかけにでもなれたらと思えるようになった。

必ずしも、皆が同じく儀式を通さなくとも、安心して人に愛を与え続けられる心を持てるようになれば、それはただ形だけで儀式を受けることに固執するよりも意味のあることだと思う。

その安心して人に愛を与え続けられる心と言うのは、きっと「神が愛するために自分を存在させてくれている」と言うことを確信することで持てるようになるんだって、最近実感した。

人が神に愛されていると言うことを信じその安心感のもとに歩み続けると言う決意をするために、原罪を清算するための何らかの儀式の過程が人間には不可欠だと言うのであれば、そうなのかも知れない。

だけどそれは神の導きによって可能であって、人の力で導けるものではないのかも知れない。儀式を受けられるようにするために人が人に対してどうにかできるのは形だけのような気がする。

それよりも人が人に出来るもっと大切なことは、神に愛されていると言う安心感のもとに、人を愛し続けることかなって思う。

どの宗教が正しいとか、どの教えが正しいとか、人が自分の信じてるものや自分の居場所を守るために争ってるような、そう言うものに時間を使いたくない。

何の線引きもなく、

ただみんなと共に穏やかな日々を送りたいから、

ただ神だけを信じていたい。

だってこの世界に存在するひとりひとりは、

みんな神に必要とされて存在してるんだから。

ひとりの人として生きようという思いに至るまでの日記

「自分がどう生きたらよいのか分からない」「自分がどこにいるのか分からない」「消えてしまいたい」

40歳目前にしても尚、何かを頑張ろうとしても次の瞬間にその気持ちが消えてしまう。その状態を学生の頃からずっと繰り返してきました。どうして気持ちを維持できないんだろう。自分は何が問題なんだろう。自分が生きている価値って何だろう。ずっと抜け出せない渦の中で生きていたように思います。

その抜け出せない心の中のぐるぐるした渦の中から抜け出すきっかけになったのは、Facebookに自分の思いを書き続けたことにありました。こちらのカテゴリーゆっきーのつぶやき日記2022~2023では、私が書き綴った日記を投稿しています。日記を投稿するに至った理由は、★ゆっきーのつぶやき日記を読んでいただくにあたって★をご覧になって頂けたらと思います。

あなたにとって、ちょっとした気晴らしにでもなれたら幸いです。



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