人に依存せずに人と共に生きる
【スポンサードリンク】
ある人々による判断によって、自分が生まれてきたことが間違いによるもののように捉えられるとき、自分が存在していること自体が無意味なことのように感じられて、「自分が生まれてきたこと」に存在価値を付与しようと、自分をそう言う思いにいたらせる判断をした人々に抗議しようとしたり、もしくは認められようと必死に努力したりする。
だけど人々の判断はその正否を問わずとも必ず根拠とするところがあって、それを他人が覆すことは容易ではなく、自分の力ではどうにもならないことの方が多い。
それでも人の判断よって自分の存在価値が脅かされていると感じている限り「消えてしまいたい」と言う感情が生じてしまう。それでも生きていたいから、何とかして自分の存在価値を感じようとする。でも人から与えられる自分の存在価値は一時的にしか続かない。自分の存在価値を人から感じ続けるためにはずっとずっと頑張らないといけなくて、ときには無理もしないといけない。それでも結果として出なければ疲れてしまって「消えてしまいたい」と言う思いにまた駆られる。その繰り返し。
そんな中、すべての「人」はこの世界の存在の根源となる目に見えない力によって存在していて、自分もそのひとりなんだって思えるようになったら、他人にそのことを確認する必要なんてなくなって、自分の存在価値を永遠に感じられる気がして、この安心感は永遠に続くんだなって心を落ち着かせられるようになった。その安心感が消えるはずはない。だって、その力は永遠に続くものだから。(その力を私は神だと捉えている。)
【スポンサードリンク】
人に基準は置かないけど、生きて行く上で必要な信念や気付きを与えてくれるのも人だから、やっぱり人はひとりでは生きていけないってのもわかる。
だけどどんなに大切な信念や気付きを与えてくれた人がいたとしても、それを与えてくれることによってその人に依存するのではなく、ただこの世界の根源となる目に見えない力がその人を通して与えてくれている「信念」や「気付き」なんだと捉えたい。
ひとりの人として生きようという思いに至るまでの日記
「自分がどう生きたらよいのか分からない」「自分がどこにいるのか分からない」「消えてしまいたい」
40歳目前にしても尚、何かを頑張ろうとしても次の瞬間にその気持ちが消えてしまう。その状態を学生の頃からずっと繰り返してきました。どうして気持ちを維持できないんだろう。自分は何が問題なんだろう。自分が生きている価値って何だろう。ずっと抜け出せない渦の中で生きていたように思います。
その抜け出せない心の中のぐるぐるした渦の中から抜け出すきっかけになったのは、Facebookに自分の思いを書き続けたことにありました。こちらのカテゴリーゆっきーのつぶやき日記2022~2023では、私が書き綴った日記を投稿しています。日記を投稿するに至った理由は、★ゆっきーのつぶやき日記を読んでいただくにあたって★をご覧になって頂けたらと思います。
あなたにとって、ちょっとした気晴らしにでもなれたら幸いです。
【スポンサードリンク】