過去を記憶に留めて…

ゆっきーのつぶやき日記2022~2023



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正直なことを書くのなら…。

自分が人々に壁を作ってしまうことになるのには要因があった。そこから繋がるいろいろなものがあって、それでも一生懸命に御言葉を生きていれば、そのいろいろなものが紐解けて、向かおうとしていたところに向かってみんながひとつになっていけるようになるんだって信じていた。

だけど大人になって振り返って見れば、たぶん紐解けたものなんてなくて、私が物理的にこの世界に生まれてくることになった人々との関係はどれをとっても薄れていて、そうすると私は何で生まれて来たのかってことを考えざるを得なくなる。

だけどその気持ちが、自分が人にどう見られるかをずっと気にして来たからなのかも知れないってことにこの半年くらいで気付き…

ふと、どうせ紐解けないんだったら、もういっそ全部切り離して自分をスタートにしちゃえばいいのかなって思ったりもする。だけどどうやって踏み切ったらいいのかが分からない。

いい歳して、まだそんな判断もできないのかって言う視点もあるのかも知れないけれど、頭でわかってても心がついて来ないことっていっぱいある。そして、自分が抱えて来た過去を忘れてはいけないって言う思いがある。

それを忘れてしまったら、たとえ宗教とは無関係な場であったとしても、今度は同じような事象を被る側ではなく作り出す側になってしまう可能性があるから。

人は何か問題があるとき、その背景に絡んでいるもののせいにしてまとめてしまう。自分も紐解けない組織と私、人々と私の関係を誰かのせいにしようとしてる。

でも、きっと人はみんな何かしらの壁を乗り越えて、成長していってるんだろうな。苦労してる人は私だけじゃないんだろうし、もっといろんなところを乗り越えて来た人もしくは乗り越えている真っ最中の人がいるんだろうな…。

世間から孤立してしまうのは、宗教人に限らず、世間からちょっと距離を置かれがちな家庭環境やこどもの発達事情を抱える家庭や親、そして子供たちに置いても言えることかなって思う。知らずと持ってしまう偏見みたいなものを持たないで、ただ「人」として接することが出来るなら、きっとWin-Winなことってあるはずなのに。



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自分が紐解けないまま乗り越えるしかなかった過去を持って、偏見を持つなだとか、あーだこーだと他人に求めることはしない。みんなそれぞれの視点があって、それが正しいって思ってやってるんだろうから。

だからただ、私自身が私の過去を忘れずに、同じく誰かを苦しめることをしないように、可能であれば救ってあげられる寄り添いが出来る人であるためにも、一つの経験として残しておこうと思う。自分自身が、自分が嫌いな人間になることだけは避けたいから。

なんだかんだ今生きているのも事実、私をずっと助けてくれて寄り添ってくれている旦那がいることも、そして可愛い子供たちに囲まれていると言うことはこれ以上にない幸せ、これも事実。

今私がするべきことは、この事実を守ることなんだと思う。愛で包み込んで…。自分も永遠の愛で包み込まれていると信じながら…。

ひとりの人として生きようという思いに至るまでの日記

「自分がどう生きたらよいのか分からない」「自分がどこにいるのか分からない」「消えてしまいたい」

40歳目前にしても尚、何かを頑張ろうとしても次の瞬間にその気持ちが消えてしまう。その状態を学生の頃からずっと繰り返してきました。どうして気持ちを維持できないんだろう。自分は何が問題なんだろう。自分が生きている価値って何だろう。ずっと抜け出せない渦の中で生きていたように思います。

その抜け出せない心の中のぐるぐるした渦の中から抜け出すきっかけになったのは、Facebookに自分の思いを書き続けたことにありました。こちらのカテゴリーゆっきーのつぶやき日記2022~2023では、私が書き綴った日記を投稿しています。日記を投稿するに至った理由は、★ゆっきーのつぶやき日記を読んでいただくにあたって★をご覧になって頂けたらと思います。

あなたにとって、ちょっとした気晴らしにでもなれたら幸いです。



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