ふと虚しくなるときの対処法

おもうこと



【スポンサードリンク】


生きていると、ふと虚しくなることがあります。今日は、虚しさとどう向き合ってきたのかと言う話を書いてみます。

子供の頃の寂しさ

私は両親がいて、裕福ってほどでもなかったけれど、それなりに不自由なく育ったと思います。ひとりっ子だったから、色々なことをさせてもらいました。ピアノ、水泳、習字など習い事もさせてもらって、ゲーム機のカートリッジも山ほど持っていて、人形遊びのセットもたくさん持っていて、休日には遊びにも連れて行ってもらって、いつも両親が一緒にいて、高校卒業後は留学もさせてもらって、きっと羨ましがる友達もいたんじゃないかなと、そう思います。

それでも寂しくなるときってあるもので、幼い頃はなんとなく寂しくなって、何かで紛らわして・・・そういうことを思い出します。

周りの大人は意外と、子供のそう言うのに気が付かないもので、何なら本人も気がついていなくて、こう言うものなんだなって思いながら、ゲームをしたり、音楽を聴いたり、テレビを見たり、何か楽しいもので紛らわしたりするのかな。私だけじゃないんだろうな・・・。そう言うのって、きっと誰にでもあるんだろうなって思います。

大人になってからの寂しさ

大人になるにつれてそう言う寂しさって増して行くのかもしれません。人は、大人になるまでに、そう言う寂しさを回避する方法を見つけていって、友達とご飯に行ったり遊びに行ったり、旅行やリラクゼーションだったり、美味しいもの食べたり、自分なりの方法を見つけていくんだろうなって思います。だけど私は、そういうのを見つけそびれてしまって、気づいたら30代中盤に差し掛かっていて、不定期に訪れる虚しさとの向き合い方が分からず、自分自身をコントロール出来ずにいました。職場にも迷惑をかけ、正社員として働くということを辞め、とにかく自分にストレスがかからない生き方を選択するように心がけました。家族にも苦労を掛けました。(今も・・・涙)

このくらいの年齢は、人生を振り返ったり、色々と見つめなおしたり、不安に襲われたり、心が不安定になりがちなのかも知れません。なんとなく、周りの知人の話を聞いたり、ニュースを見たりすると、そういう時期なのかなって思ったりもします。少なくとも私においてはそうでした。それまで解けないまま放置してきたものが限界に達して、それまで頑張ってきたもの全てが無意味なことのように思えてきて、リセットしたくてもゲームのようにはいかない。たくさんのものを失ってきたような虚しさがありつつも、目の前にいるのは大切な家族・・・夫、子供たち。

出来ることをしていくしかない。

虚しさを一時的に消し去るものに対する依存

年齢が40歳に差し掛かり、頻繁に訪れるようになってきた虚しさを閉じ込めようとしました。最低限、生きていくためにも、そうするしかないと思いました。そうして色々なもので虚しさを胡麻化して、心に空いた穴が埋まってくれたように感じて安心しては、またすぐに空っぽになる。その虚しさは、毎日のように訪れました。その頻度が、どんどん高まるようでした。他の人も、こういう思いに駆られているんだろうか?気を許した人には尋ねたりもしました。同じような思いに駆られながらも頑張っている人、頑張れない人、一緒に頑張ろうと言ってくれる人、応援してくれる人・・・いろんな人がいました。虚しさと戦いながらも頑張れる人がいるのに、頑張れない私はダメな人間なのかな・・・。家族がいて幸せなはずなのに、私が欲張りなだけなのかな。そんな思いにも駆られ、不安に押しつぶされそうになっては、その虚しさを一時的にでも消し去ってくれるものにますます頼るようになりました。



【スポンサードリンク】


これじゃだめなんだよな・・・。分かっているのにやめられない。ずっと、永遠に、この心に空いた穴を埋めてくれるものはないんだろうか?家族を守りたい。家族と幸せな家庭をこれからも築いていきたいし、そこに繋がる隣人ともたくさん繋がって幸せを広めていきたい。その想いを行動に移しながら生き続けるには、私の心を安定させないといけない気がするのに、何をやっても安定しない。もう、手遅れな段階に来てしまっているんだろうか?私は、壊れてしまっているんだろうか?いろんな思いに駆られながらも探し続けました。私の心を満たしてくれるものを・・・。

「見えないもの」を信じるということ

ある日、電車に乗っていると、ある書籍の広告が目にとまりました。私が抱えている「虚しさ」に関連する書籍のようで、その虚しさを克服するための考え方を紹介しているようでした。その中の一つに、「見えないものを心の拠り所にする」と言うものがありました。見えないもの・・・。

ふと思い出してみると、私が最も大変だったとき、なんとなく一緒にいると安心する人々がいました。その人たちが「見えないもの」を信じているんだろうなっていうことを考えるようになりました。そしてそのことが、他人に寄り添い続ける力になっているんだなと・・・そんなことを感じるようになりました。私も同じものを信じたらいいのかな、そうしたら人に寄り添い続けられる自分になれるのかな・・・。そう思いつつも、100%そうしようって言う思いにどうしても辿り着けない自分がいました。

だけど、あることをきっかけに私は、私が信じられる「見えないもの」に辿り着きました。それが何かは今は書きません。それは、同じような悩みを抱える人を救いたくないからではありません。ただ、私が辿り着いた答えは、私が今まで生きてくる過程があった中で辿り着いたものだから。冷たく聞こえるかもしれないけれど、辿り着いていない人にとってはそれは答えにならないんだと思うんです。それを無理やり答えだと思い込もうとすると、人は壊れてしまうんじゃないかなって自分の経験を通して思うんです。

違うなって思ったらシフトチェンジもあるのかも知れません。でも私は今、自分が信じようとしてきたものと同じものを、もう一度信じることにしました。それは、頭で信じようとするところから抜け出して、心で感じ取って信じていたいと思えるようになったから。そしてそこに、私が大切にしたきたものがあるから。それは譲れないと思いました。「見えないもの」は消えないし、変わらない。私が信じ続けている限り。

誰かに一緒にそれを信じようと言うつもりもありません。私が信じていられればそれでいいのかなって今はそう思っています。私に出来ることは、私がどうするかを選択することだけだから。他人の選択までもコントロールすることは出来ない。だけど私は自分の中に信じる「見えないもの」を置くことで、人に寄り添い続けることができる。なぜならその「見えないもの」は私にとって力であり、盾であり、望みであり続けるから。

私が人に寄り添い続けることができれば、きっと家族を、隣人を、永遠の幸せに導くことができると信じているから。そのときはきっと誰の心にも「虚しさ」は訪れなくなり、「安心感」のもとにあたたかい関係が築かれていくと信じているから。私は、そのあたたかみを広めるために人に寄り添うことのできる一人であれればそれでいい。

そのために「見えないもの」を信じていたい。



【スポンサードリンク】


おもうこと

Posted by yukky