春の懇談会に行ってきて思うこと
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今日は次男の授業参観、そのあと懇談会だった。
隣のクラスの担任が新任の先生で、そのことで校長先生が教職についてお話ししてくださって、なんと言うか本当に、私も子供たちの未来のために出来ることやって行きたいなぁーと、そう思わされた。
校長先生が3月にその新任の先生と面談されたときのお話をしてくださって、新任の先生に一番得意なことは何かを聞いたときに、校長先生が一番大切にしていることを答えられたそうで、安心して任せられるって感じられたとのこと。(敢えてそれがなんなのかはここには書きませんが…)
そのお話を聞いたときに校長先生のマインドが素敵だなって思ったし、そうしたことを大事にしている地域の学校に子供たちが通っていると言うことが本当に安心だなって思ったし、私はその保護者として学校や地域に関わって行きたいなって思った…。
私も含め、人は自分の思い通りにならないことを環境のせいにしがちだけど、自分自身が何気なく毎日習慣のようにしている行動が、もしかしたらその環境を作り出している一要素なのかも知れないってことを頭に留めておきたいなって思う。
そして、環境に対して願うことをまず自分がやってみることで、昨日よりも今日の環境がほんのちょっとだとしても自分の願うものに近づくかも知れないって思っていたい。
教育に対するマインドは地域によって異なると思うけど、それって必ずしも教員だけが作り出してるんじゃなくて、保護者だったり地域の人々だったり、その地域を構成している人々が作り出してるんだろうなってことを思う。
どれが正しいとかは一概には言えない。人それぞれ大事にしたいものがあるから。世界を変えたいとか、国を変えたいとか、社会を変えたいとか、そう言う大きな夢を掲げることも大事だけど、ひとりの人が生きている間に出来ることって限界があるから、合わない環境にわざわざ足を踏み入れて文句だけ言って人生を終わらせるくらいだったら、自分が大切にしたいものを大切にしている環境の中で、共感できる人々と一緒に、その大切なものを膨らませていける努力をした方がいいのかなって思う。
そうして自分が大切にしたいと思うものが、もっともっと大きく、魅力的なものとして輝けるようになったら、もしかしたらひとりでは無理だったもっと広い範囲に、影響を与えることのできる力になるかも知れない。
目立たなくたっていいし、逃げだと思われたっていいし、人にどう見られるかじゃなくて、自分が自分の信念に対して忠実であれたら、それは素敵な人生かなって、そんなことを思う。
さてさて…
次男の担任の先生は、初対面。
懇談会後、学童から次男連れてきて担任の先生にご挨拶した…🎏と一緒に。笑
別れ際に次男の可愛いエピソードを話して、初対面の日から親バカ炸裂させたのに対し、
か、かわいい〜(*ˊ˘ˋ*)と、言ってくださった優しい先生…笑
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優しそうな先生だねーって帰り道に次男と話してたら、優しそうじゃなくて優しいよと言ってた…笑
今年も温かい一年になりそうです(*´˘`人
感謝♡
ネガティブな自分と向き合うことによる自分自身の変化
「自分がどう生きたらよいのか分からない」「自分がどこにいるのか分からない」「消えてしまいたい」
40歳目前にしても尚、何かを頑張ろうとしても次の瞬間にその気持ちが消えてしまう。その状態を学生の頃からずっと繰り返してきました。どうして気持ちを維持できないんだろう。自分は何が問題なんだろう。自分が生きている価値って何だろう。ずっと抜け出せない渦の中で生きていたように思います。
なんだか自分だけが世の中にひとり取り残されてしまったような感覚、何も出来ないで生きて来たことによる虚無感、その抜け出せないでいる思いをとりあえずアウトプットしてみることにしました。自然と私の中から出てくる思いがたとえネガティブなものだったとしても、それが私だからいったんアウトプットしてみたら誰かが分かってくれるかもしれない。まぁ誰かに理解を求めるなんて無理だとは思うけれど、黙っていなくなるよりは何か助かる道が見えることもあるかも知れない。
そんな思いでFacebookに自分の思いを書き続ける中で少しずつ私に変化が訪れました。こちらのカテゴリー生きるって何だろう~つぶやき日記~では、私が書き綴った日記を投稿しています。日記を投稿するに至った理由は、★ゆっきーのつぶやき日記を読んでいただくにあたって★をご覧になって頂けたらと思います。
もしあなたも何かに躓いてここに辿り着ているのなら、その躓いている何かがうまく解けるきっかけになれるものに出会えたら幸いです。
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